「生活のためのヨガ」であり、「ヨガのための生活」ではない。

ヨガのインストラクターをしていると話すと、「じゃあ、毎日ヨガをしているのですか?」と質問されます。

ヨガの本来の意味(自ら心身を制御し苦の根源から自由になる)から言えば、毎日練習していますと答えていいと思うのですが、一般的に認識されている「ヨガ=asana(ポーズをとる)」として答えれば、はっきり言って答えはNOです。

ヨガを始めて7年目になりますが、生活におけるasanaの練習の位置づけは、はじめた頃と今では大きく変わったように思います。はじめの頃は、とにかく練習の毎日で、日々からだが変わっていくのが楽しくて、ある意味中毒のようになっていました。

ヨガの練習をするために、それ以外の優先すべきことを避けてしまうことさえありました。

そして、このポーズができない、あの人はできるのに私はできない・・・というふうに他人と自分を比べて嫉妬していることに気づいた時、ふと「何のためにやっているんだろう」と思うようになりました。

苦しまない自分になるための練習のはずなのに、苦しみを生んでいるではないか・・・と。

「ヨガ」は本来、人と自分に優劣を付けて比べるものではなく、そのような状況や感情も含め、いかなる場合においても「心やからだが苦しいと思わなくても済むように上手に生きていく」ための練習なのです。

そしてそのうちに「何もasanaの練習だけがヨガではないのだ」ということに気づきます。日々の生活そのもの、生きているこの一瞬一瞬に、そのチャンスが存在しているのだと思います。ただ、普段の生活の忙しさのせいで、そのことに気づかなかったり、忘れたり、集中できないでいるだけなのです。

先日私の恩師も、ヨガの練習は「例えば1日のうち、23時間を気持ちよく過ごすための1時間」であるべきだとおっしゃっていました。確かにそうだな〜と深く感じました。「1時間の練習のために費やす23時間」になっていた時が私にもかつてあったな〜と。

もちろん、その実体験があったからこそ、気づいたことがたくさんあったし、そのおかげで今の自分はとても楽になりました。

体験してみないと本当の意味で理解できないことってたくさんありますよね。だから今の自分の気持ちに任せて「ヨガのために生きてみる」こともいいかもしれません。周りが見えないくらい夢中になってみてもいいかもしれません。

いずれにしても、その先の「答え」にたどり着くことができると思います。
asanaであっても、瞑想であっても、日々の生活であっても、どんな手段であっても、たどり着く「真理」はひとつ。

「自分や誰かを傷つけず、傷つけられず、辛さや苦しさの少ない人生を生きる術を学ぶ」

それが「ヨガ」というものなのではないでしょうか。

 

ちなみにアシュタンガヨガをある程度練習している人の場合、日曜日から木曜日はセカンド以降、金曜日はプライマリー、土曜日とムーンデイ(女性は生理中も)はお休みするというのが、定例となっているようです。

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