「体の痛み」はアシュタンガヨガの練習に必要不可欠!

今朝のマイソールクラスの時、ある生徒さんが「パドマーサナ(蓮華座)を組むと右足が痛いので、今日はあまり動かず呼吸だけでもいいですか?」という質問がありました。

とてもいい質問だなあ〜と思いまして、今日はこの「痛み」についてお話ししてみたいと思います。

今日の生徒さんには、詳しい状態を聞いた上で「もちろん、それでも良いですが、いつもの練習をできる範囲でやってみるというのも良い練習になりますよ」とお答えしました。

結果、「やってみたら大丈夫でした〜!」ということだったので、ホッとしました。

もし、体のどこかに常に痛みを感じている(炎症を起こしている時など)ならいつもの練習をお休みして、マットを敷いて座り、呼吸を5〜10分くらいするのも良いでしょう。しっかり休むことも大切です。

そこは、自分の体と心をしっかり観察して、やりたくない!と感じたら休んでくださいね。痛みはあるけどやれそうだな、ちょっとやってみようかな、と感じているなら、無理のない程度でやってみてください。


さて、「痛み」というのは、軽微なものから激しいものまで色々あると思います。

真剣に練習をしている人なら、全体の練習の中で一つも痛みを感じずに終えられる方は、ほとんどいないと思います。

 

 

ちなみに、練習をする中で、このポーズの時に痛みを感じるのよね、、というのは当たり前のことだと思ってください。

アシュタンガヨガは、レベルに合わせて難易度が高くなるわけですから、体がどんどん強くなっていろんなポーズをできるようになっても、その人がその時にギリギリまで頑張らなければできないポーズがまた新しく出てくるので、常に「これ以上はきつい!痛い!」という状態に自分の身を置き、自分の心と体に向き合うという作業をし続けることになります。

ヨガとは、「どんなポーズでも呼吸を乱さない」練習

つまり、どんな痛みや苦しみに出会っても呼吸が乱れない「強さ」と「柔軟性」と「冷静さ」を保つ練習なのです。

 

そのためには、まずその現実を受け入れなければいけません。

 

「このポーズはきつい!苦手!痛い!」ということに対して、あなたはどんな反応をしますか?

1. 「これ嫌!したくない」と反発する(苦手なポーズをついスキップしてしまう)

2. 「これ嫌!でもやらなきゃ!」と反発しながらもなんとかやろうとする(呼吸が乱れる)

3. 「あ、これ嫌だなと感じている自分がいる」と思う(客観視する)

4. なんとも思わない(無の境地)

 

上記の中でどれが一番苦しいと思いますか?

そしてどれが一番楽だと思いますか?

1と2は苦しいし、3か4なら楽そうですよね!

でも口で言うのは簡単、実際はとても難しいですよね?^^

そう、難しいことだからちゃんと練習をしなければできるようにはならないのです。そして、この練習には、感覚的に一番わかりやすい「痛み」というものが必要なのです。

そのほかにも、息苦しさなどの肉体的苦痛や、慢心、恐れ、怠慢などを題材にして「どんな状況にも冷静さを保つ」ための練習をするわけです。


〜ヨガ初心者によくある話〜

あるポーズにAさんは痛みを感じ、Bさんは痛みなく楽にできているという場合。

Aさんは劣等感や痛みに対する嫌悪感を感じるかもしれません。

Bさんは優越感や、もっとできる!という高慢さが現れるかもしれません。

自分の状態を客観視できなければ、Aさんは練習が嫌になったり焦ったりして苦しい状況が続くかもしれません。Bさんは、周囲に疎ましく思われたり、やりすぎて怪我をしたりするかもしれません。

ヨガの練習に「比較」も「評価」も必要ありません。できないポーズができるようになることは、練習を続けていくための動機にはなるけれど、ヨガの目的ではありません。

人それぞれ、体が違うように、進むペースも得意不得意なことも千差万別。

大切なのは、何を感じ、何に気づき、どう変化していくのか。


そしてこの練習の成果は、普段の生活、人生そのものに必ず影響を与えます。

嫌なものに出会った時、自分がどう感じるか、何に気づくか、どう対処するか。

そうやって、みんながうまいことトラブルを回避しながら快適に過ごせるようになることが、「平和な調和」ってことなんだなあ、と改めて感じました。

 

さて、次の練習では、一体どんな感覚的刺激があるのか。

それをじっくり味わいながら、練習をしましょう。

瞑想修行10日間(in ヴィパッサナー瞑想センター)の話

気づき・洞察の「ヴィパッサナー瞑想」とは

2013年2月、タイ北部のチェンマイでタイ式マッサージの勉強をしたことがあります。

(現在は、ほとんど施術をする機会もないのですが・・・)

私の持っているタイ式マッサージのテキストに、セラピストがマッサージを施す前の心の準備として行っている瞑想法が掲載されています。

それが気づきの瞑想「ヴィパッサナー」です。

 

私は当時、瞑想自体、具体的にどのようにすればよいのか、どのくらいの効果があるのかも知らず、ほとんど経験がありませんでした。

ある時、その気づきの瞑想「ヴィパッサナー」の実践法を教えてくれる瞑想センターが日本にある、と知人から聞きました。

ヴィパッサナー瞑想法は私の大好きなゴータマ・ブッダが実際に修行していたものだというのを聞いて、飛びついたのです。

教えてくれた知人も実際に「10日間コース」を受けており、非常に良かったとのことだったので早速申し込みをしました(3か月前から予約ができますが、すぐにキャンセル待ちになるほど人気があるセンターです。)。

気になる方は、webサイトをご覧ください。https://www.jp.dhamma.org/ja/

そして、念願叶って、2013年5月末から12日間京都の山の方にある瞑想センターへ行っておりました。

 

ヴィパッサナー瞑想法とは(ヴィパッサナー協会の資料から抜粋)

『ヴィパッサナーはインドにおける最も古い瞑想法のひとつです。長く人類の間で失われていましたが、2500年以上前に、ゴータマ・ブッダによって再発見されました。「ヴィパッサナー」とは、物事をあるがままに見ることを意味します。それは自己観察による自己浄化のプロセスです。まず、心を集中するために自然な息を観察します。そして鋭く研ぎすました意識を持って、心と体の変化するという性質を観察することへと進み、無常、苦悩、無我、という普遍的な真実を経験します。この直接の経験による真実の実現が、浄化のプロセスです。この道(ダンマ)は全て、普遍的な問題のための普遍的な解決法であり、いかなる組織的な宗教や宗派とも関係ありません。この理由から、この瞑想法は人種や階級や宗教と矛盾することなく、誰でも、いつでも、どこにでも自由に実践でき、また全ての人々に等しく有益であることが分かっています。』

  • 盲目的信心に基づく儀礼や儀式ではありません。
  • 知的な、あるいは哲学的な娯楽ではありません。
  • 静養、休暇、社交の機会ではありません。
  • 日常生活の大変さからの逃避ではありません。
  • 苦悩を根絶する技です。
  • 落ち着いてバランスの取れたやり方で緊張や問題に直面することを可能にする心の浄化法です。
  • 社会に役立つために使うことのできる生きる技です。

 

私は、実践法を習う以前から、ブッダ関連の本を読みあさっていたので、ブッダが解く真理や自然の摂理、起こる問題の全てが自分の内側にあること、人はどう生きれば良いのかという知識はありました。

その知識だけでも、自分の中の問題を自分の力で解決できたりと、実生活にかなりの変化がありました。ですが、知識だけあってもダメです。

ヨガがそうであるように、やはり実践をしなければ、突発的な何かが起きた時にうまく対処できないのです。

泳ぐ方法を知っていても、実際に泳ぐ練習をしなければ泳げないのと一緒です。

 

アニッチャ(無常)の理解の上で完璧な平静さを保つ

 

これだけでは、なんのこっちゃ分からないと思います。でもこれがヴィパッサナー瞑想の真髄です。

よくある例を使って、説明してみます。

 

(例)「粗雑で大きな音を嫌悪している人が、それを耳にすると怒りが湧く」という無意識の反応パターン

【 法則 】
瞑想実践前・・・「粗雑な音」→「嫌いな音」→「イライラ」
瞑想実践後・・・「粗雑な音」→「”嫌いな音”だと嫌悪感を抱いている自分」を観察→「怒りが消える」

これと瞑想がどのように結びついているかというと、こうです。

瞑想は目を閉じて同じ姿勢で長時間座ります。

30分もすれば、股関節から足をもぎ取られるような痛みと、どうにかなりそうな足の痺れなどの肉体的苦痛を感じます。

しかし、それでも動かずにあくまで平静にその感覚を観察し続けなければいけません。全身の神経を全身の感覚に集中させて、微かな感覚も、分かりやすい激しい感覚すべて同等にとらえるのです。

すべてのものは常に移り変わっている、生まれては消えていく「無常」を理解して完璧な平静を保ち観察し続けます。

そして、心に浮かんだ様々な妄想、想像、記憶、アイデア全てについても、肉体的感覚と同様に、あくまで平静に観察をし続けるのです。

「私は今、妄想をしている。集中できなくなっている。痛いと感じている。早く終わって欲しいと思っている。」というふうに。

その訓練を続けていると、4日目にはほとんどの生徒が1時間ずっと動かずに座っていられるようになります。そして最終日までには、微かな感覚と激しい感覚が混ざり合い、全身均一な感覚に包まれます

 

まずは、自分の体におけるどんな感覚も同一と捉え、そこに何の感情も結び付けない練習をすることで、身の回りに起こるどんな出来事も(嬉しいことも悲しいことも)、単なる事象としてそこに感情を結び付けずに、平静に判断・行動できるようになるという論理がそこにあるわけです。

 

とはいえ、これはそう簡単にできることではありません。

瞑想を毎日の習慣にして、集中力や洞察力を鍛えていかなければならないのです。

実は、アシュタンガヨガの実践の中で、「瞑想」というのは、上級者レベルに達して初めて実践を許されるほど難しいものです。

アシュタンガヨガの上級者レベルというのは、世界的にみてもそう簡単には辿り着けない段階です。

そこに至った人たちは、瞑想修行に打ち込める集中力と心と身体の強さを持っている人たちです。

そうでない人たちには、理解できない領域であるし、理解しているつもり、やってるつもりになって、さらに、できていると勘違いをして、おかしな方向に行ってしまったり、頑張ってやっても効果はなく、継続できずに終わる・・・というのが目に見えています。

 

ですから、瞑想云々、洞察力がどうの、という話は、私たちのような初級〜中級レベルの実践者にはまだ早い訳です。

 

最近それをつくづく感じています。

私にはまだ早い・・・と。

 

ですが、だからこそ、アシュタンガヨガの練習に打ち込める訳で、今はとにかく目の前にある課題に集中して、一生懸命日々練習をしていこう!と思うのです。

「思い込み」を捨てたら苦しみはなくなる(7日間断食をしてみて)

先週金曜日が新月だったので、急に思い立って断食を始めました。

「断食」というと、飲まず食わずの修行的な感じにも思えますが、近頃流行りの酵素や必要な栄養素を飲み物で摂取しながらの断食ですので、とっても楽でした。

月に数回は1日半の断食をしているのですが、二日以上の断食は今回が初めて。
実践するまでは、私にはできないと思っていたけど、意外にあっけなく完了しました。

【摂取した飲み物】

1日目
朝、昼、夕・・・酵素ドリンク20ccお湯割
その他・・・水、醤油番茶


2日目(宿便排出)
朝・・・酵素ドリンク20ccお湯割
昼・・・コーヒー、ほうじ茶
夕・・・甘酒200cc

その他・・・水、醤油番茶

※少し頭がぼんやり。


3日目
朝・・・酵素ドリンク20ccお湯割
昼・・・甘酒、野菜スープの汁のみ
夕・・・醤油番茶、昆布だし+醤油

※前日、宿便が一気に出てしまってお腹が軽くなった。
朝のマイソールクラスでセカンドの練習をした際も、その軽さを実感。
キツさは一切無し。


4日目(宿便排出)
朝・・・醤油番茶
昼・・・野菜スープの汁のみ
夕・・・野菜スープの汁のみ

※この時点で体重は約3キロ減、体脂肪率0.5%減


5日目
朝・・・醤油番茶
昼・・・甘酒、野菜スープの汁のみ
夕・・・野菜スープの汁のみ

※体重ほとんど変化なし、体脂肪率0.5%減
※朝のマイソールで練習の後、生理が予定通り開始


6日目
朝・・・酵素ドリンク20ccお湯割
昼・・・野菜スープの汁のみ
夕・・・野菜スープの汁のみ

※キックボクシングトレーニング前にVAAM摂取
※体重0.3kg減、体脂肪率1.5%減、生理二日目(経血サラサラで量少なめ)


7日目

朝・・・酵素ドリンク20ccお湯割
昼・・・野菜スープの汁のみ
夕・・・野菜スープの汁のみ

※キックボクササイズ前にVAAM摂取
※体重0.4kg減、体脂肪率0.8%減


 

今回の断食の目的は、デトックスをして、乱れた食生活&身体をリセットすること。ついでに体脂肪率を減らして体を軽くし、ますますアシュタンガの練習に励みたいというものでしたので、数値的にも実際の身体の状態も自分的にはとても理想的です。

 

何より、この一週間我慢というものをしていないので、一切心が乱れず(食べたい欲求無し、イライラも無し、お腹が鳴ってもその感覚を軽くスルー)、このまま食べることをしなくても生きていけそうだ・・・と感じ、食に対する価値観が大きく変わったことに驚きました。

「食べないと死んでしまう、力が出ない」という思い込みを捨てる。

「食べる楽しみ」という思い込みを捨てる。

「私はそれほど食べていない」という思い込みを捨てる。

意識を変えるだけで、全く苦しみでは無くなります。

(持論:たばこやアルコールをやめたくてもやめられないのも思い込み)

断食6日目のキックボクシングトレーニング
多少パンチ力やキック力は弱々しかったかもしれないけれど、体は軽かった!

断食中、いつも通りの生活、いつも通りのアシュタンガヨガ練習やキックボクシングのトレーニングをしていましたが、いつも以上に動けてビックリ。

でもさすがに、タンパク質を摂ってないので、若干筋肉が悲鳴をあげていました・・・。やっぱりそういうものをちゃんと取らなきゃいけませんね!

 

断食がこんなに楽だと感じた理由は、最低限生きるのに必要な酵素や栄養素を摂り続けていること、そして、これまでヨガや瞑想を続けてきて、意識の持ち方、意識の変え方、コントロール力が自ずとついてきているからではないかと思っています。

断食は上手に適度に行えば、体にとても良い行為なので、あまりに食べ過ぎの現代人には必要な行為じゃないかなと思います。

免疫力や自然治癒力が高まり、思考が明晰になり、心が落ち着きます。

 

断食はあくまで無理のないよう、調子の悪い時に食事を控えるとか、一食分抜くとか、月に一回、1日だけ食べないとか、時々胃腸を休めてあげると身体が喜びます。

 

もし苦しさを感じるのなら潔くストップして、ヨガの練習にいそしみ気分転換するのをオススメしますよ。

ヨガは継続するほどに必ず意識が変わり、身体が変わります。

 

 

無常観とマインドフルネス

本日のYOGA for relaxationでは、長めにポーズをキープし、その間に身体に感じる感覚や呼吸に意識を集中させる練習をしました。

 

キープが長いと、その状態でいることに慣れてしまうので、その間に色々な思考や感情が沸き起こります。それを客観的に観察し受け流し、そして身体の感覚に意識を戻す、というのを繰り返します。

お子様連れOKでしたので、レッスン中に周りで声がしたり走り回る音がして気が散る状況の中、皆さん一生懸命集中しておられました。

 

心がグラグラ、足元もグラグラ、な自分。

集中力がない自分。

イライラしちゃう自分。

他人と比べちゃう自分。

 

色んな自分に気づきます。

でもすぐに違う何かを思い浮かべて、また別の感情が沸き起こって、、、と、めくるめく思考の波にのまれます。波の中にいることすら気づかないこともあります。

人は普段からそうなのですが、こうやって改めて確認してみないとわからないのです。

 

この時間は、常に移り変わる(無常)「いま、この瞬間」をひとつひとつ確認していく。そういうレッスンでした。

 

大橋で毎週火曜日の14:30-15:30に実施しているインサイトヨガでは、こういった瞑想法の一部を取り入れたレッスンも行います。

興味のある方は是非一度お試しください♡

インサイトヨガ

 

俯瞰で全体を眺めることの大切さ

“木を見て森を見ず”。小さいことに心を奪われて、全体を見通さないことのたとえ。

もし今あなたが何かにとらわれているとしたら、そこには同時に苦しみも存在しているかもしれません。
例えば、「人はこうあるべき、社会人はこうあるべき」といったこだわり、自分の経験から確立した自分なりのルール、理想、妄想、、などです。

“自分”は、それらを遵守しているのにあの人はしていない。

そういう気持ちには苦しみが現れています。

我が子にはこうあって欲しいのになかなかそうはならない。

ここにも苦しみが現れています。

でも、そのこだわりから解放された時、その苦しみは消えます。というか、はなから苦しみは生まれません。

・・・と、そういうことなんですね。

どうすれば、苦しみを生むこだわりから解放されるのか。

全体を俯瞰で眺めるというのはどうでしょうか。

何か嫌なことが起きそうな雰囲気になったら、これは長い長い人生の中のほんの一瞬の出来事で、あっという間に過ぎて行く、そんな些細なことなんだなぁ、と感じてみる。

そういう練習を続けていくと、きっと、何が起きてもケロッとしていられそうではないですか。

とはいえ、私自身も毎日不平不満を感じながら生きているんですけどね。頭では分かっていてもなかなかうまくいかないのは、長年自身が培ってきた業のせい、、
だからこそ子供には、早いうちからそのようなことを教えてやれたらと思っています。

さて、(多少強引ですが)全体を俯瞰で眺めるという意味を込めて、ヨガの種類や流派を色々と調べてまとめてみましたので、興味がありましたら、見てみてください。

何千年も昔から始まって現代に至るまで、様々なヨガが生まれ、あるいは作り出され、派生して、消滅して、、、を繰り返しています。

自分が実践しているヨガはどんなものなのか、他の種類や歴史や由来を知ることで、さらに理解が深まることもあります。

全体を知った上で自分が何を選択するのか、また選択すれば良いのか。

全体を知らずに、自分が実践しているヨガだけを一生懸命にするよりも、全体を知った上で、そのヨガを一生懸命にする方が、より良い実践ができるのではないかなと、思います。

何事においても、全体を俯瞰で見られる「冷静さ、平静さ」が欲しいものです。

瞑想は機が熟せば自ずとやってくる

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私たちのほとんどは、無意識のうちに瞑想がもたらす心の安らぎを求めているように思います。

例えば、お料理や掃除に集中したり、スポーツを楽しんだり、その行為に没頭している少しの間は、嫌なことも時間の流れさえも忘れ、そしてその後なんとなくスッキリしたような気になる、、そういった経験はありませんか?

こういった独自の瞑想習慣といいますか、心が落ち着く方法を誰から教わるでもなく知っていて自然と行っている人は結構いると思うのです。

野球選手のイチローが試合前に必ず行うルーティンも、色々なスポーツ選手が試合前に必ず聴く音楽がある、というのも、目の前のことに意識を「集中」していくための独自の方法なのだと思います。

そして緊張や不安など絶え間ない心のざわめきは止み、落ち着いて試合に臨めるというわけです。

 

話は逸れましたが、私たちが物事に熱中した時に得られる充実感は、その活動そのものよりも、集中したことによって一時的に悩みや心配事を忘れるという事実からくることが多いのです。

逆に言えば、そういった行為は「関心がそこに向いている間だけの安らぎ」しかもたらしてくれません。

心は一旦そこから外れると、またいつものように、フワフワと漂いはじめ、過去のことを考えたり、未来のありもしないことを考えたりするのにエネルギーを浪費し、しょっちゅう目の前にある事柄から横道にはずれてしまうのです。

 

心がいつでも安らいでいる状態でいられるように訓練しようと思ったら、瞑想の実践をすればいいのです。

瞑想法とは、自分の心が今、どういう状態にあるか常に観察する訓練です。

瞑想の訓練を続けると、目的意識と意志が強まり、思考が明晰になり、高度の集中が可能になり、何をやっても違ってきます。

また、「瞑想」は「眠り」のように教えたり教わったりはできず、正しい方法とステップで練習し、機が熟せば自然と訪れるものと言われています。

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お気に入りのネコとねんどをカゴに入れて、、
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今日から二人で実家にお泊まりです。庭の紫陽花がきれい!

と、いうわけで、明日は久しぶりに1日瞑想会に参加します。朝から夕方までインターバルを挟みながらの瞑想。

久しぶりだから相当足も痛いしキツイでしょうが、そういう瞑想だけに没頭できる環境に身を置けるってなかなかないことなので楽しみです。

でも、、居眠りしちゃうだろうなぁ〜σ^_^;

 

 

 

全てのトラブルは「妄想」から生じる?!

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自分の心が常に動いていることに気づいていますか?

心は放っておくと色んな種類の妄想をしはじめます。

小さい子供が、遊んでいたおもちゃに飽きて次から次へと遊びを変えるように、心も次から次へとめまぐるしく思考の内容を変えます。

このような状態は、初めは心地よいかもしれませんが、様々な疑念や欲望が生じ、それが心を支配するようになると、人生が厄介なものになっていくかもしれません。

(妄想癖があることを自慢気に打ち明けている方、要注意です!)

“あの人は自分のことをどう思っているのだろう?”
“あの人は私よりも稼いでいるから幸せに違いない”
“あの人は才能があるから自分より優れている”

などと考えて、人は自分で自分の心を不安定にしていきます。

心を湖に例えると、このような考えは水面を乱す波のようなもので、その波のせいで湖の底の穏やかな水が見えないのです。

ヨガ、特に瞑想は、そのような考えや感情を静めて、穏やかな水、すなわち心の平安を見出せるようになるための方法なのです。

 


 

いよいよ、今週土曜日となりました「Happy女子マーケット」。

出店者のみなさんとこれまで様々な準備を進めてきましたが、とても充実した内容となりそうで私も楽しみです♡

 

【5/14 sat ヨガイベント内容】

★リラックス系★
『頭と心がスッキリ!呼吸・瞑想 』30分 500円

★美ボディ目指す系★
『身体の歪み改善』30分 500円

★少し頑張る系★
『はじめてさんのヴィンヤサヨガ』60分 1,000円
(太陽礼拝A・Bをレクチャー。ご自宅でもできる説明書付き!)

【タイムスケジュール】
①10:15~10:45 呼吸、瞑想
②11:00~12:00 ヴィンヤサヨガ
③13:00~13:30 歪み改善
昼休憩
④14:20~14:50 呼吸、瞑想
⑤15:00~16:00 ヴィンヤサヨガ
⑥16:15~16:45 歪み改善

※当日の先着順で受付します。(定員になり次第締め切り)

◉小学生まで無料
◉ヨガマット不要
◉動きやすい服装、タオル、飲み物など
(ヴィンヤサヨガは多少汗をかくかもしれませんので、お着替えをご準備ください)
※ご不明な点は、ご遠慮なくコメントかメールでどうぞ^^
メール・・・info@sumsuun.com

 

呼吸を制すものは人生を制す!

prana

、、、と言っても過言ではありません。

ヨガの実践において、呼吸はとっても重要な行為なのですが、それはつまり「生きる」上で呼吸がとても重要であるということを示していると言えます。

 

“呼吸”は、産まれた瞬間から死を迎えるその時まで続く、生命維持の為に絶対に必要なもの。

また、呼吸はあらゆる感情とつながっています

 

リラックスしている時、呼吸はゆったりと深く、たくさんの酸素を取り込み、胸部や腹部が動くことで自然に内臓をマッサージし、細胞が活性化しています。

逆に、ネガティヴな考え事をしていたりストレスのある状態では、呼吸数は減り、身体も緊張していて、細胞は活性化されないので、身体も心も病気になりやすいのです。

 

自分の感情によって、呼吸が変わり、そして健康に害を及ぼす恐れもある。

だけど、呼吸は無意識に行えるものであると同時に、意識的に行えるものでもある。

つまり、意識的に健康を維持することができる!と言えるのです。

健康で元気なら何でもできる!

だから、呼吸を制すものは人生を制す!なのです。

 

  • 緊張、怒り、恐怖、悲しみ(ネガティブ)
  • 喜び、快楽、安心(ポジティブ)

それぞれ長さも質も変化する(普段は意識していない)

意識的に行うことで、感情や身体の機能を コントロールすることができる。 (自律神経のバランスを整える etc.)

 

さて、5/14に開催するイベント『Happy女子マーケット』では「呼吸法・瞑想法」をレッスンする時間があります。

アサナ(ポーズ)以上に重要な呼吸法、、お着替えなどは必要ないので、気になる方は当日チラッと見に来てお声掛けください♡

30分500円です!

【タイムスケジュール】
①10:15~10:45 呼吸、瞑想
②11:00~12:00 ヴィンヤサヨガ
③13:00~13:30 歪み改善
昼休憩
④14:20~14:50 呼吸、瞑想
⑤15:00~16:00 ヴィンヤサヨガ
⑥16:15~16:45 歪み改善

 

 


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↑高宮・アミカスでのイベント詳細はこちら↑

気持ちイイヨガをすると思い通りに生きられる!?

ヨガのアサナ(ポーズ)は、身体の柔軟性や筋力、ポーズの形、難易度の高いポーズができるかどうかとか、そういったことは全く重要ではないというお話をよくしています。

肉体的な変化は副産物のようなもので、練習を続ければ程度の差はあれ、どなたでも自然と柔らかくなるし強くなるし健康になっていきます!

とはいえ、、、やっぱり頑張っちゃいますよね。

「ここをもっとこう伸ばしたい!」「おでこをスネにつけたい!」という風に。

でも、こんな風に意識のすべてがどこかの部分に集中してしまうと、その他の部分に負担がかかり、怪我につながるかもしれません。

身体を痛めないようにするには、まず無理をしないことが大切ですが、身体への意識の置き方ひとつでずいぶん楽になるんですよね、実は。
例えば、下の画像のアサナ、「ウッティタ・パールシュヴァコーナーサナ。」

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左手、左足、右足などが各方向におへそから骨の中心がしっかり伸びるように意識してみましょう。そして呼吸をしっかり続けます。

これら全てをいっぺんに意識をすると、上下、左右、前後、、全ての方向に向かって力が働くので、身体の真ん中の部分はなんの力も加わっていない状態になります。心も体もとてもリラックスして、なんだか楽で気持ちよい感覚。

ですから、どの部分にもテンションやプレッシャーがかからず、痛みやキツさのない楽なポーズになります。

意識を偏りなく全体に持っていくことによって、フッと身体が楽になったり軽く感じたりする状態・・・。これを「瞑想状態」と言ってよいと思いますが、このような練習を続けていくと、感覚が鋭くなったり、偏ったものの見方をしなくなったりしてとてもスムーズに色々なことに対処できるようになっていきます。

ヨガって、スムーズに生きるヒントがたくさん散りばめられているんですよね。

なんだかちっともうまくいかない、と生きにくさを感じている方、是非ヨガを試してみてくださいね♡

小池龍之介・瞑想ワークショップ

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先日、朝日カルチャーセンターで行われた瞑想ワークショップに参加してきました。喜怒哀楽という感情についてのお話と瞑想のお稽古を実際にやってみるというものです。約二時間半のこのワークショップについてまとめました。長いですが、興味深いお話なので、是非読んでみてください。

  1. 心と感情の関係性
  2. 感情って何の為にあるの?
  3. 『無我の境地に至る』
  4. 『瞑想』って何?
  5. まとめ

1.心と感情の関係性

住職曰く、『心』というのは感情だけではなく、思考(想像、妄想、迷い)、記憶、感覚、などを含む、それはそれは計り知れない程広大な宇宙のようなもので、感情などはその中のほんの一部。だけども人はその喜怒哀楽といったたまたま表に出てきた小さな感情に振り回されて、それがあたかも『自分の心』『自分そのもの』だと思い込んでいる、、。

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さらに、感情というのは、自分の意思で起こすものではなく、その人がこれまでの積み重ねた思い込みによって勝手に呼び起こされるもの、ということも重要な真実です。喜怒哀楽の条件は育った環境によって異なり、その表れ方も違います。それほど曖昧でいい加減な現象に私たちは振り回されて生きているんですね。

例えば、ボランティアをしたり、自然を大切にしようと思ったり、いいことをしようとします。その時人は気持ちよさを感じますよね。だからどんどんそれを求める。幸せに向かっているように感じる。だけどもしそれにこだわるあまり、それに賛同しない人や邪魔する人に怒りを感じるなら、苦しみもまた同じく増える。良いことをしても全然苦しみは減らない!と嘆く。
逆に、ものごとにこだわらず他人に対する怒りの感情もまたそこになければ、苦しむこともない、というわけです。

また、例えばお花見で桜を見て『綺麗だなぁ、嬉しいなぁ』という感情が湧き上がってきても、それは長くは続かず、次の瞬間には桜の木の下で食べるお弁当を食べて感動し、お花見が終わればそれらの感情は消えて無くなる。

もし、桜を見て湧き上がる『綺麗だなぁ』という感情が永遠に続くのなら、人は2度と桜を見ないでしょうね、と住職はおっしゃいました。

この世にある全てのものは移り変わる『諸行無常』なのだから、どんな感情もすぐに消えて無くなる。
もし、怒っているのが「私」ならば、怒りが去れば「私」は無くなるのか?喜んでいるのが「私」なら、喜びが去れば「私」も消滅するのか、、そうではないですよね。だから感情=自分ではない。その程度の単なる事象なのだと。

2.感情ってなんのためにあるの?

それは、言葉がまだない時の名残ではないかな?と思います。赤ちゃんは、おっぱいが飲みたい時そのタイミングで貰えなければ泣きます。おむつが濡れて気持ち悪いから変えて欲しいと泣きます。眠れないから寝かせてくれと泣きます。ママが抱っこしてくれたら嬉しくて安心して寝ます。動物も同様。

言葉で伝えることができれば泣く必要も無くなる。ネガティヴな感情が無ければ争いが起こることはないでしょう。だけども、赤ちゃんの時に感情というものを使い意思を伝えるということを覚えたから人は、感情を表現する。言葉は無くとも伝わる。だから、どんな言葉にも感情が漏れなく付いて来る。

3.『無我の境地に至る』

これもよく聞く言葉ですが、ほとんどの方が間違った捉え方をしています。
目を閉じて、無になる無になる無になると唱え、何か別のことを考え始めると、いかんいかん!考えてはいかん!と頭を振り振り、無になれ無になれ無になれ!、、を繰り返す。これ、なんの意味もないです。

『無我』は、そもそも我は無いということ

人は大概の人と理解しあってコミュニケーションを取っていると思っていますが、本当は同じものを違うように見て、感じていても、それをあたかも同じものを同じように見ているかのように、脳が勝手に調整しているから、うまく噛み合っているように感じているだけ。

人はオギャーと生まれて育っていく過程で、親や自分を取り巻く様々な環境や情報が、こういう事象にはこう反応するという方程式を作り上げ刷り込んでいく。そうして形成された「思い込み」が原因で人は様々なことに反応しているというわけです。

先日、こんなことがありました。

1歳の娘は、私が注意をしたり怒ってもいつもケロッとしています。毎日のことだし、怒られてもお咎めが済めば、やさしく抱きしめてチュッチュとしてくれる、とおもってるんですね。
夫の場合は、時々しか怒らないからか、ちょっと注意しただけでもすぐに俯いて口を歪ませ「う、う、ウエーん」と泣き始めます。

ある時、私が娘に注意をした後、夫が明るいトーンで娘を庇うようなことを言いました。なのに娘は夫に咎められたと思っていつものように泣き始めました。

これぞまさに思い込み!本人がいけないことをしてるという自覚がある時、彼女の父親がどんなことを言おうと関係なく、怒られたと思って条件反射的に泣くようになってしまったのです。

4.『瞑想』って何?

瞑想の目的は『心の観察』です。感情は思い込みによって起こる。その思い込み(心の癖)に気づき、それはすぐに過ぎ去っていくはかないものだ、諸行無常で、たいして重要なことではない、ことを知ります。

瞑想はまず、意識を一点に留めておく練習から始まります。呼吸に意識を止める方法や周囲で聞こえる微かな音に耳を澄ませるなどその対象は様々です。

そうしているうちに、いかに自分の心の中が落ち着きなくカオスな状態かということを知ることになります。
幼い子供が、おもちゃを出したかと思えば、違うおもちゃを引っ張りだして、そうかと思えば絵本を持ち出し、今度はどこか違う場所に行っちゃった、、というように落ち着きなく、次々と思考が移り変わるのです。でも普段はそんなふうに思考がグルグル変わっているということに気づいていないと思います。

まさに諸行無常。

続いて、その心の移り変わりを客観的に俯瞰で眺める練習です。最初はすぐにめくるめく思考に巻き込まれて流されてしまいますが、気付くたびに観察を繰り返すことによって、段々と観察し続けられる時間が長くなっていきます。
そして浮かんでくる様々な感情や思考を「〇〇と思うがまま、、」「〇〇と思ってもいいよー」といった具合に流していく。それらにいちいちとらわれていてはなんの効果もないので、流して流して、、というのをとにかく練習する。

呼吸や周囲の音を対象にする他、歩きながら、食べながら、など色々な手段を使って行える瞑想についても教わりました。

5.まとめ

できるだけ主観が入らないように努めましたが、無意識のうちにそうなってしまっている部分もあるかもしれません。ですので、ふーん、そう、なるほどね、そういう考えもあるねぇ、程度にさらっと流して貰えばいいかと思います。(それ以前に分かりづらいかもしれません。もっとちゃんと知りたい方は小池住職の著書を読んでみてください。^^;)

どんなものも偏らない中立を保つというのが大切で、これが正しい、正しくない、とかそういうことは本当はどうでもよい。綱引きで、両チームが同じ力で引っ張ることで中央が保たれるように、考え方も偏り無く、好きすぎてそれ以外を除外するのではなく、ふーん、そう、へぇ、そう、ってそれだけで済ませることができれば、宗教戦争や人種差別もないと思います。

ヨガのアサナ(ポーズ)も、上と下、右と左、前と後ろ、お互いに同じ力でバランスをとるようにしますが、そういうバランスを私たちは身体全体で実感しながら学びます。妄想でも想像でも誰かの体験でもなく、自分の身体を通して色々なことを感じます。

ヨガも瞑想も、現実的で科学的で合理的な「よりよく生きるための方法」と言えると思います。